トラ・メモ Vol.1

Traditional & Memorial Tournament Vol.1

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沖縄と本土との架け橋
という役割を果たし、
人々に夢と勇気を与え続けてきた

2017年3月、ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントが30周年を迎えた。 長年、沖縄のゴルフ振興のみならず、さまざまな経済的発展に大きく寄与してきた大会だ。 30年の歩みを振り返り、トーナメントの果たす役割を考えてみたい。

本土の財界人との交流で
沖縄経済の発展を狙う

30回大会の記念品を受け取る井上礼之大会会長

30回大会の記念品を受け取る井上礼之大会会長

1988年にスタートしたダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントには、単に一企業の広報活動、あるいは女子ゴルフの発展のため、といった目的をはるかに超える動機と狙いがあった。

このトーナメント誕生には、当時琉球放送の社長を務めていた小禄邦男氏(現同社最高顧問)、日本興業銀行の最高顧問を務めていた故中山素平氏、そしてダイキン工業で社長を務めていた故山田稔氏という3人の財界人が大きく関与している。

戦後、米軍の統治下に置かれていた沖縄は、1972年に日本に返還された。しかし、高度成長期を経て大きく発展した日本本土と沖縄では、80年代に入っても大きな経済的な隔たりがあった。そんな背景から小禄氏らは、「女子プロゴルフの大会を機に本土と沖縄の財界人の交流を深め、沖縄の地域経済を進展させよう」と考えた。

小禄氏がその思いを中山氏に相談、そして山田氏を紹介してもらうことで、このプランは大きく動きだした。トーナメント開催のために、沖縄の財界では小禄氏、東京では中山氏、そして関西では山田氏が積極的に旗を振った。

出場全選手が参加して盛大に行われた前夜祭

出場全選手が参加して盛大に行われた前夜祭

そんな経緯で誕生したダイキンオーキッドレディスの特色は、プロアマ大会や前夜祭を見るとよくわかる。多くの大会ではスポンサー企業や得意先の関係者などが招待されるが、この大会では沖縄と本土の財界人が数多く出席。さながら“財界サミット”の様相を呈する。

1990年に誕生した「沖縄懇話会」は、この大会のプロアマ大会や前夜祭に参加した財界人たちが集まり、立ち上げたものであり、「沖縄が困っていることは何でも手伝おう」という主旨で、今も年に数回の会議を行っている。

1995年にはスポーツや文化、芸術、教育などの振興のため「オーキッドバウンティ基金」が創設。これは沖縄と本土の財界人の浄財などを基に、文化やスポーツなどで努力している団体・個人に助成金が出されるものだ。

1997年からは「ダイキンオーキッドレディスアマチュアゴルフ選手権大会」を開催し、地域スポーツの活性化、沖縄県下のアマチュアゴルファーのレベルを向上させてきた。ここから宮里藍選手をはじめ数多くの沖縄出身のプロゴルファーが誕生していることは言うまでもない。

30周年の節目を賑やかに迎え、
今後も沖縄に貢献し続ける大会に

特別塗装機ダイキンオーキッド・ジェット

特別塗装機ダイキンオーキッド・ジェット

今年、30周年を迎えたダイキンオーキッドレディスの前夜祭は2月28日(火)に行われ、県内外の財界関係者や出場選手ら、過去最多の約650人が参加して交流を深めた。この大会が沖縄や本土の財界人にすっかり根付いている証といえるだろう。これに先立ち2月27日(月)には、大会30周年を記念してノーベル化学賞受賞者でダイキンのフェローを務める根岸英一・米パデュー大学特別教授が、地元高校生などを対象に講演会を実施。高校生らに貴重な示唆を与える素晴らしい機会となった。1~3月には日本航空が特別塗装機「ダイキンオーキッド・ジェット」も就航させた。機体後方にダイキンオーキッドレディスのロゴとともに「JALは沖縄のスポーツと観光を応援しています」というメッセージを掲出し、話題を集めた。

この他にも地元紙やテレビ局などが数多く「30周年企画」を展開。お祝いムードも最高潮に達した。もちろん、この大会がここまで継続できたことには、地元沖縄県の手厚いサポートも見逃せない。県予算を使ってPR活動をしたり、県知事らが率先して本土から訪れる財界関係者と交流したりしてきた。この大会が本土と沖縄をつなぐ架け橋の役割を果たしてきたことをよく表している。

30周年の節目を迎えたダイキンオーキッドレディスは、沖縄懇話会、オーキッドバウンティ、アマチュアゴルフ大会と、さまざまな活動に派生してきた。またこれらを通じ、沖縄振興を大きく加速させたことは間違いない。そして今後も、これまで以上に沖縄振興に貢献し、沖縄の人たちに夢と勇気を与える大会として成長していくだろう。